【まめ知識01】藤江の競馬場

藤江・松江
藤江競馬場(昭和初期)

昭和2年、兵庫県畜産組合連合会により明石郡大久保に競馬場が建設されることが決まりました。しかし、競馬場を建設するためのきん調ちょうたつくいかず、同連合会から依頼を受けた宇治川電気と明石土地建物株式会社が経営・担当を引き受け、藤江に明石競馬場が開設されました。そして昭和3年5月11日から4日間、初めての競馬が開催されました。明石競馬場では年に2〜3回、それぞれ3日間の競馬が開催されていました。出走馬は100頭を超え、数万人の観客が訪れたそうです。競馬の合間にはオートバイ競争や花火大会などがもよおされました。また1万坪の場内には、教材花園があり、小・中学生の学習にも利用されました。しかし昭和14年の軍馬保護法により、競馬場は閉鎖されます。その後、川崎航空機工業株式会社の明石工場設置に伴う工員住宅建設のため、その跡地は住宅団地へと姿を変えました。以前の藤江駅は、競馬場の馬券売り場を転用したものでしたが、昭和60年に現在のえきしゃに建て替わりました。

明石ヘリテージマップ『藤江・松江』2021

競馬場行きの切符
住宅営団が開発した藤江住宅の図面

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