藤江・松江 01.谷八木の六地蔵 細い階段横のお地蔵様の奥に六体並んでいます。一番端っこのお地蔵様は木の根っこに押し出されてどこかへ行こうとしている様に見えます。さて、どの道へ進もうとしているのでしょうか。 藤江・松江
藤江・松江 02.馬塚の碑(五輪) 藤が丘団地の西端に供養塔があります。昭和3年から11年間公営の明石競馬場として開催されていました。開催中の競走馬の事故死とかの出火による焼死等があり、その供養のために関係者や住民等がしっています。 藤江・松江
藤江・松江 03.保育所・藤が丘の住宅 昭和17(1942)年頃工員住宅が大量に求められ、住宅営団が競馬場跡に約680戸の街をつくりました。藤江保育所の場所は当初から託児所が、道向かい東側には診療所、公衆浴場が設けられました。公園も当初から計画された街区でした。 藤江・松江
藤江・松江 04.明石市初の都市公園 明石市では昭和39年に都市公園条例を施行しました。藤江1〜3号公園はその時に設置された明石市の最初の都市公園の一つです。公園は春夏秋冬の花の歳時記園と名付けられ、同時にの歌碑も整備されています。 藤江・松江
藤江・松江 05.今も残る第4コーナー 藤が丘住宅には現在でも競馬場の跡が道路としてくっきりと残っています。全周1000mの馬場のホームストレッチから左右のコーナーが航空写真で見て取れます。競馬場をそのまま残して住宅地にしていたのは驚きです。 藤江・松江
藤江・松江 06.藤江のロータリー かつて藤江には競馬場がありました。昭和17年に、その競馬場跡地に、住宅営団が労働者向けの藤江住宅団地を開発しました(豆知識1参照)。当時建てられた労働者住宅の多くは建て替わりましたが、計画されたロータリーは、今も当時の様子を伝えています。 藤江・松江
藤江・松江 07.農業用水路の蓋 田畑に水を巡らす水路は時期によって水量を調節できるよう仕切りが工夫されています。ここではコンクリートの側壁にパイプを差し、ねじ式のフタが取付けられていました。地域や時代による変化を見つけるのも楽しみの一つです。 藤江・松江
藤江・松江 08.今は使われていない防火池 藤江地域の海側に今は使われていない防火用水池があります。 この防火用水池の建設時期は不明ですが、今は西側の住宅地にある「藤江カイヅカ公園」の地下に昭和56(1981)年に設けられた防火水槽に引き継がれています。 藤江・松江
藤江・松江 09.藤原塚 元々古墳であった墳丘は地元では藤原塚(藤原長明大林神)と呼ばれ、古来より信仰の対象となっています。現在の社殿には一字一石経を納めた宝篋印塔が祀られ、社殿背面には漁師が奉納したと思われる貝殻も祀られています。 藤江・松江
藤江・松江 10.瓦葺の塀に縁起物 長屋門に付属した塀の隅瓦に縁起物として重宝がられている「鷹」があります。獲物を捕らえた姿は鈍く銀色に光り、瓦職人の遊び心が見られます。塀の縁起物は、福をもたらし「子孫繁栄・出世」を願うなどの意味があるそうです。 藤江・松江
藤江・松江 11.長屋門の職人技 浜街道沿いの路地裏に、裕福な農家の長屋門があります。構造形式を熟知した大工職人冥利の技で、柱・梁等の材質を活かし意匠を凝らした長屋門の見栄えとその実用性には思わず見惚れてしまいます。 藤江・松江
消失藤江・松江 12.首なし地蔵 路傍にある二基の石造物は近世の造立とみられるお地蔵様の残欠です。石造物はいずれも砂岩の加工石であるため、表面の風化もかなり進んでいます。胴体より上部が欠損している理由として廃仏毀釈の可能性が考えられます。 消失藤江・松江