【まめ知識02】船上の城下町

船上・林

奈良時代より明石地方の海上交通の拠点きょてんとして発展した船上は、三木合戦をて、秀吉の時代になる
と、その港としての機能きのうを重要視され、天正てんしょう13(1587)年の高山右近の移封いほうにより本格的な港湾型こうわんがたの城下町の建設が進められました。
右近は前任地ぜんにんち高槻たかつきと同じように水路や地形などを活用して城づくりをしています。
遺構いこうから見ると城址じょうし石碑せきひがあるところが本丸、古城川こじょうがわが内堀、東の乙樋おとひ川と西の高浜川が外堀、南
側の船上川河口付近が港で、密蔵院の裏に船溜ふなだまりが設けられました。侍屋敷などは、おもに城の東、
北側に配置されていたと思われます。浜街道はまかいどう(高砂道)に建っていた密蔵院、宝蔵寺、神応寺、浄蓮寺の寺も上手く城下町に取り入れています。
右近はわずか2年でバテレン追放令により追放されますが、船上の城下町は秀吉の直轄ちょっかつ時代にも引き
継がれ、拡幅かくふくされました。
その後も一国一城令いっこくいちじょうれいが制定され赤松山に明石城、海側に明石港が完成するまでは、船上は明石の海の
拠点でした。

2019年

2024.12.7 撮影

大手門前とされる場所 2019年

大手門前とされる場所 2024.12.7 撮影

浄蓮寺前 鍵辻 2019年

明石ヘリテージマップ『船上・林』2019

2024.12.7 撮影

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