

良質の粘土が出る赤根川流域では平安期の窯跡が発見されるなど、焼き物では古い歴史を持ちます。瓦においては法隆寺を改修した奈良の瓦大工である橘一族と深い関わりを持ち、この地域での瓦製造は日本の中でも早かったと思われます。明石瓦事業協同組合の記録では、室町時代中期に本格的に始まり、慶長5(1600)年に池田輝政が播磨の大守になってから盛んになりました。
古代から作られていたのは粘土瓦で、いぶし瓦とも黒瓦とも言われるものですが、昭和12(1937)年三河地方より技術を取り入れ、塩焼瓦(赤瓦・洋瓦)を焼くようになりました。
最盛期は昭和42(1967)年頃で、75工場で年産約3000万枚も生産していましたが、黒煙による公害、需要の減少などにより衰退し、平成18(2006)年に瓦工場は姿を消しました。
また赤瓦はこの地方の景観に大きな影響を与えています。桟瓦・本瓦・スパニッシュ瓦と形を変え、寺社の本堂から民家、洋館までが同じ赤い屋根になり、海の青、木々の緑に映え、町並みが明るく暖かい印象になっています。
明石ヘリテージマップ『江井島』2013

