大蔵

01.朝霧橋石造欄干

昭和3年に朝霧川が改修された時にできた橋で、欄干の親柱が花崗岩で作られています。国道を挟んで、欄干の南西側親柱には、ひらがなで「あさぎりばし」、北東側親柱には漢字で「朝霧橋」と橋名が刻まれています。

02.旧西国街道東口の題目塔

明治2年に建立された大きな石塔で、「大蔵谷浜で難破した人の霊を祀る法華塔」といわれています。日蓮宗独特の「ひげ文字」で刻まれており、住民の信仰も厚く、地域を守っています。

03.煉瓦塀と欄干親柱

昔、敷地内に小河川があったので、鉄筋コンクリート造の欄干が設けられていました。その後欄干は撤去され、親柱だけ残っていました。しかし最近レンガ塀の改造があり、親柱も撤去され、親柱跡の四角い形だけが残っています。

04.土と瓦で造られた境界土塀

大蔵では、黒瓦が生産されていました。海岸に近く、風雨も強いことから土と瓦で造られた土塀を境界線に築き、住環境を守ってきました。土壁の中には、丸瓦や平瓦が使われているのを見ることが出来ます。

05.公家邸(旧卯月邸)のうだつ

街道沿いでは隣家からの火事が燃え移るのを防ぐ為、隣家との間に「うだつ」という防火壁が造られました。うだつには各家で様々な意匠が施されていますが、ここでは家名に因み、うさぎと月のレリーフがあります。

06.石崎邸

平入の厨子二階建てで、格子窓や丸太矢来、1階壁の板張りなど大蔵の町家の風情をよく残しています。屋敷の奥には米蔵も残存しています。1850年(嘉永年代)には建てられていた商家で小作米等を売っていました。

07.古民家の活用

昔の町家の構えを残し、大蔵の町並みを保存しながら、現在の生活や仕事、活動に生かして、継承していく取り組みもたくさん見ることが出来ます。 旧大塩邸では、大学との連携で「神戸学院大学地域研究センター『明石ハウス』」を運営し、大学研究の発表・地域との交流の場として活かされています。「町の寺子屋」では地域住民の世代を超こえた交流の場づくりに貢献しています。「和蔵」は土蔵を改装して「家庭健康に対する正しい知識を学ぶ教室」になっています。他にも、飲食店として再活用されている古民家もあります。

08.卯月邸

古くからの網元でした。明治17(1884)年、明治天皇の兵庫行幸では舞子浜で天覧網を披露しました。瓦製造もしていました。 建物は大蔵の伝統的意匠をよく残し「明石市都市景観形成重要建築物」に指定されています。

09.服部邸の魔除け

八幡神社の前にある服部邸の1階屋根には、「鍾馗さん」の像が置かれています。鍾馗さんは主に中国に伝わる道教系の神で魔除けの効験があるとされています。他にしょうきを勝機とかけて験担ぎにしたともいわれています。

10.八幡神社

祭神は越智益躬で、その子武男が父の霊を祀ったそうです。稲爪神社の御旅所にもなりました。 手水舎にある手水石には凹穴の「盃状穴」がたくさんあります。 江戸末期の八幡の森では砲術などの訓練も行われていたそうです。

11.八幡神社の太鼓蔵

昔は半鐘塔や、消防団の詰所がありました。ここをさらに南へ下ったところに、八幡浜砲台がありました。幕末に勝海舟が設計した明石藩舞子砲台と同時期のものです。舞子の砲台跡は国の史跡に指定されました。

12.畳屋さんに脱衣箱

「林田畳店」には平成15年頃に廃業された「朝霧湯」の脱衣箱やkgと貫(3.75kg)の目盛りのついた体重計が保管されています。 また神戸の学生の卒業記念作品「朝霧湯の模型」(まめ知識5参照)も、大切に保管されています。
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