
播磨国の神名帳によれば、旧明石郡内13社の一つに数えられ、南北朝時代に社殿を造営し主祭神を勧請、 山王二十一社大権現という格式の高い神社となり明治維新に御崎神社と改称したと言われています。
また、神社にまつわる「鉄人の船と霊」の伝説から、山王権現が弓矢を用いて悪霊を退治したという故事に基づく神事があります。この神事は寛文12(1672)年より今も続き、約350年の歴史を持ち、明石市の無形民俗文化財に指定され、地元住民で作る保存会で継承されています。
神事は1月中旬に行われ、当日は大前1人、 弓立4人、子供5人をもって奉仕します。大前・弓立は黒紋付麻裃、子供は黒紋付に袴の出で立ちで、まず大前が天地を狙い、終りに的に向かって矢を放ちます。それから大前・弓立五人で一斉に矢を天に向かって4回放ち、神事の子供は各その矢を拾って神前に供え、豊作・豊漁を祈願し式を終えます。
明石ヘリテージマップ『藤江・松江』2021


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駐車場なし