
大正の終わりから昭和の初めにかけて、和館の母屋に洋館風の付属屋がつけられる様式が、裕福さのシンボルとして全国的に流行しました。これは欧米化を目指す明るい世相を反映したものです。玄関脇に応接間として建てられる事が多く、子供室としても使われました。
この地区にも急勾配の屋根や高い階高、縦長の窓、出窓、外開きのガラリ雨戸、スレート葺や色付き瓦を使った屋根など様々な意匠を見ることができます。建物に合わせてライフスタイルも変化していったと考えられます。

明石ヘリテージマップ『人丸』2018
撤去され新しい建物に

変化なく存在
