【まめ知識04】中崎遊園地

人丸
書は橋本海関

明石じょうは明治22(1889)年にぐんりつ公園となり、整備が進んでいましたが、明治31(1898)年に、こうぐうぞくへんにゅうされ、公園ははいえんとなりました。

明石町は観光客や地元民のゆうらくする場所として、中崎の公園化を県に働きかけ、明治36(1903)年に明石遊園がかいせつされました。

元々中崎ははくしゃせいしょうで淡路島を望むふうこうめいな所で、城主のらしたべっていちゃもあり、秋は月に、夏は海水浴に最も適するとされていました。町はづまこしかけちゃみせなどを整備し、高級旅館も建ち並ぶようになりました。

大正6(1917)年の兵庫でんどう(山陽電車) のかいつうに合わせ「遊園地前駅」を作り観光客ゆうに努めました。

近代的なきんこうホテルが昭和初期に開業しました。この建物は昭和23年にばんよう幼稚園としてかいそうされましたが、ホテルが幼稚園になるということで話題となりました。なかにわせんしき日本庭園をそのままえんていにしていたと言われてます。

水産試験場が再建され昭和23年に、水産はくらんかいが開催され、その後も花火大会や漫才大会のイベントなどで大いににぎわいました。

錦江ホテルは4階建てだった
錦江ホテル正面
戦後、播陽幼稚園に改装されました

明石ヘリテージマップ『人丸』2018

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