船上・林 04.出羽殿築堤 関ヶ原の戦の後、池田輝政の甥である池田出羽守由之が船上城に入りました。出羽守は明石川の氾濫から船上を守る堤防を築き、松を植え、その堤は出羽殿築堤と呼ばれました。現在はサイクリングロードの一部となっています。 船上・林
船上・林 05.乙樋川 船上城の外堀として利用できるように手が加えられたとされる川ですが、現在はその殆どが暗渠となり、上には道路が設けられています。南王子町と田町の境界線であり、昭和17(1942)年に明石市と林崎村が合併するまでは市境でした。 船上・林
船上・林 06.大福湯 暖簾は新しいですが半世紀に渡り近隣に愛されているお風呂屋さん。脱衣場2階は休憩室の名残で、洗い場には天窓、主浴槽が中央にあり、腰掛け段は汲み出し洗いの名残です。大阪式の伝統的な造りで、古き良き時代を彷彿させます。 船上・林
船上・林 07.わらじとお地蔵様 村境付近に掘抜(井戸の)地蔵、または縁切り地蔵と呼ばれる地蔵堂があります。鼻緒を切って吊す草鞋は村境の「道切り」とみられ、泥塗の石仏と共に疫病等を断つ霊験があると古くから信じられています。 船上・林
船上・林 08.改耕記念碑 林崎村の東端である船上地区は平坦な地でしたが、低地のため水はけが悪く、また古城川と乙樋川に挟まれ、区画も複雑でした。そこで林崎村は大正末期から3年の年月をかけ、将来の街路の築造も見据え、改耕整理をしました。 船上・林
船上・林 09.養老橋 江戸時代には密蔵院の北東部には船だまりがありました。大きな船が川を通る際には、橋が邪魔になるため、簡易な橋を架けており、「よろよろ橋」と名付けられ、後に「養老橋」と転じたようです。江井島港にも同じ名前があります。 船上・林
船上・林 10.古波止 池田出羽守は港の整備にも力を注ぎ、船上川の河口に二丁(約220m)程の防波堤を築きました。現在では海中ですが、引き潮にはその姿を波の形で確認できます。当時、村民は殿様が淡路まで橋を架けるのかと思ったそうです。 船上・林
船上・林 11.望海浜の茶亭跡 寛文年間(1661〜1672)頃の明石藩主松平信之が、ここに暴風、砂止めのための松を植えました。宝永8(1711)年には明石城主松平直明が、別荘「望海亭」を建てています。明治32(1899)年には望海御料地にもなりました。 船上・林
船上・林 12.犬矢来の家 矢来とは、竹や丸太などで作られた仮囲いです。犬矢来は竹を曲線状に組み、京の町屋にもよく見られます。由来は「犬よけ」と言われていますが、道に面した外壁や板塀から、侵入者や水はねを防ぐ目的もあるようです。 船上・林
船上・林 13.御崎神社 当初は山王権現の神社でしたが、祭神が明治時代に林神社に合祀され、御崎神社に改称しました。『播磨鑑』によれば、山王権現の主祭神はオオナムチだとし、地名の「船上」も山王権現に由来すると伝えています。 船上・林
船上・林 14.油掛地蔵 密蔵院境内の東南にあるお堂の中に祀られているお地蔵様。「おんかかか、びさんまえい、そのか」と唱えながら、お地蔵様の頭に静かに油をかけ心よりお話するように(一願)お願いすることから、一願地蔵とも呼ばれています。 船上・林
船上・林 15.密蔵院 密蔵院は寺伝では延喜4(904)年、平安時代の創建です。かつては密教の学問所として栄え、江戸時代は藩の保護も得ました。しかし寺院は戦災に遭い、戦後再建されました。現在は報徳大地蔵尊や油かけ地蔵でも有名です。 船上・林