船上・林 28.西之町の戎神社 ここは五蔵、地蔵、戎井、戎之の西之町巾着網の統と川端町や宮之町などの元網の統(藤原繁蔵の網)が祀っています。鳥居は木製で献花台は石製、塀はレンガ造です。正面の門の小屋根の欄間には鯛が彫られ彩色されています。 船上・林
船上・林 29.善国寺のお地蔵様 善国寺の境内にある立派なお地蔵様で、林には沢山のお地蔵様があります。明石川東側の新浜では地蔵盆にお地蔵さんの下で子どもたちへ茶菓を振る舞うことが盛んですが、林ではお地蔵さんの下では殆ど行われていないそうです。 船上・林
船上・林 30.神応寺 真言宗の神応寺は密蔵院の末寺です。かつては常願寺や西林坊と呼ばれ、林神社の西に所在する別当寺でした。寺院は明治には現在地に移りましたが、明石七佛薬師の一つであった薬師佛と本堂は空襲で焼失し、戦後再建されました。 船上・林
船上・林 31.美しい石垣 高浜川から一本東に入った道にある石垣です。道は川に沿って緩やかに曲がり、海へ向かう昔からの道です。石垣は竜山石で下段は角形、上段は丸形で積まれ、川に向かうにつれて土地が低くなっているのが分かります。 船上・林
船上・林 32.林神社 林神社は平安時代にまで遡れる明石郡の式内社の一つで、当初は上野宮と呼ばれ、後に別称上宮五社大明神社(上ノ宮明神)となりました。延喜22(922)年夏の旱魃の際に祈雨で雨が降った伝承から雨乞社とも呼ばれました。 船上・林
船上・林 33.立石の井 林神社の東の谷にあり、「貴崎に住む2人のお后を悩ませていた大蛸を、二見の豪傑が大蛸壺で捕まえたが、逃げだし、この地で切伏せたところ、立石の井になった」という伝説があります。後に村の酒造りに大いに利用されたそうです。 船上・林
船上・林 34.自由川と自由橋 林地区と高浜地区の境界に位置する高浜川、及び林崎橋はかつては自由川、及び自由橋と呼ばれていました。両地区の境界は林神社の表参道に接続するため、自由川は誰の所有でもない場(公界)の形成と無関係ではないようです。 船上・林
船上・林 35.専修寺 高浜川の林崎橋(自由橋)の西詰にある浄土宗のお寺です。明治9(1876)年には、合併した小学校の校舎として、明治22(1889)年には林崎村の村役場にされるなど、 浄蓮寺と共に、明治期の林崎村において大きな役割を果たしました。 船上・林
船上・林 36.街道の米穀店 旧浜街道沿いの米穀店。約30Mに渡り、板張りの平屋と入母屋造りの店舗、蔵が軒を連ね、奥には立派なお屋敷があります。高浜川の東側は漁村が中心だったのに対し西側は半農半漁の地域であったことがうかがえる建物です。 船上・林
船上・林 37.高砂道 旧林村内を東西に貫く浜街道は高砂方面へ通じる生活道であり、地元では高砂道と呼んでいます。高砂道沿いの村の各境界には、村内の自治と自衛のためにわざと遠くを見通せない工夫「遠見遮断」が配置されていることがわかります。 船上・林
船上・林 38.高東町の高繁大明神 高東町には戎神社はなく、稲荷社だけがあります。氏神は林神社です。外の塀はなくて一段高くしてあります。高浜東丁の丸三巾着網の統が祀っています。祭には五丁マカセ(5枚布団)の布団太鼓を繰り出すそうです。 船上・林
船上・林 39.蛭子神社と一森稲荷 高浜中丁と高浜戎丁の戎巾着網の統がお祀りしています。前に石の鳥居があります。前方は石製の玉垣、周囲はレンガ塀ですが、前面は花崗岩で作られ、立派な印象を与えています。本殿は銅板一文字葺で稲荷社は桟瓦葺です。 船上・林