
城下町以前、この地域は旧山陽道に沿って中庄村(明石川左岸)と大明石村があるだけでした。
お城は西の明石川と東の両馬川の中心の小山(赤松山)に築かれ、その麓を通っていた山陽道を南に迂回させて、外堀を設けました。
東西の川近くには足軽・組屋敷やお寺を配し、城下町を守り、明石川には警護のため江戸時代後半まで橋は架けられませんでした。
城下西端には姫路口門を構え十王堂が、東端には京口門に一向光明寺(朝顔光明寺)が配されました。外堀より内は侍町、その南は町屋で構成され、船溜りから西に船手(水主)が集められました。
城下町形成初期の町屋は、東から鍛治屋町、細工町、東魚町、東本町、西本町、西魚町、信濃町、東樽屋町、西樽屋町、明石町でした。
東西に職人町、中央に商人町という配置で、特に東魚町は鮮魚と練り物、西魚町は干物、海産物と専門別にお店が集められていました。
現在は違う町名(本町)になり、地名を手掛かりに往時を辿るのが難しくなってきました。



明石へリテージマップ『城下』2017