
“本陣“とは、大名や幕府役人などの貴人が泊まる宿のことで、大蔵谷本陣は、天正の頃、岩国(現山口県)から来た広瀬治兵衛が開いたといわれています。江戸時代になると、西国街道沿いにあった大蔵谷は参勤交代の大名行列が通る宿場町として栄えていきました。
当時の本陣は西国街道の南側、大蔵谷のほぼ中央にある今の大蔵市場辺りにありました。その様子は、江戸時代の街道絵図「中国行程期」にも描かれています。しかし幕末の頃になると、その本陣は潰れ、今の大蔵会館の場所にあった脇本陣の一つ「籠営屋住野」が新しい本陣となりました。
明治3年、宿駅、本陣、脇本陣の名称は廃止されました。その後、本陣は全て取り壊されてしまいましたが、大蔵会館前の木は、宿場町として繁栄していた当時を知る生き証人として大切に保存されています。

明石ヘリテージマップ『大蔵』2014

現況 現在も西国街道沿いに残存しています。