藤江・松江

37.ひっそり残る石垣

まちを歩いていると、ブロック塀などの下に以前の石垣が残されていることに気がつきます。かつては、色とりどりの竜山石が積み重ねられた石垣が連なる風景が広がっていたことでしょう。

38.路地裏ギャラリー

この細い路地は、まるで小さなギャラリーのようです。ブロック塀をくり抜いた小さな箱庭や置物などが、路地を通りゆく人たちの目を楽しませてくれます。ささやかなおもてなしを受けたような暖かい気持ちになれますね。

39.花が咲く擁壁

林崎漁港から藤江に向かうサイクリングロードの擁壁に小さな花が咲いていました。これは緑化ブロック擁壁といい、味気のないコンクリート製の表面に、土を入れて植栽ができる工夫をした環境と景観に配慮した擁壁です。

40.オクトパスステージ

林崎・松江海水浴場の東側には公園が整備され、その一角にオクトパスステージがあります。コンクリート打放しの壁に蛸たこなどのレリーフが施ほどこされています。1990年のオープニングにはコンサートが開かれたそうです。

41.ウミガメ情報

堤防に「ウミガメの情報をご連絡ください!」の看板があります。看板にはこの付近での昭和 61 年から平成 26 年まで 19 回のアカウミガメ産卵記録が書かれてありました。市役所では 24 時間体制で受付しているそうです。

42.美人のお地蔵さま

県道南の住宅地にあるお地蔵さまはとても美しいお顔をされています。周りは小さな公園のようになっており、手作りの藤棚や飾られたお花など地域の人たちに愛されているお地蔵さまであることがうかがわれます。

43.海へ続く道にタコの絵

林崎松江海岸駅から南の道に海にちなんだ絵が描かれています。全部で30枚あり一番多いのは意外にもイカの8枚、続いてタコの6枚でした。道の絵を楽しみながら歩いていくと、海水浴場への降り口に到着することになります。

44.貴崎神社

海沿いの住宅街にある貴崎神社。社殿は海の方ではなく少し東に向いています。別名を林神社御旅所といいます。林神社とともに明石にまつわる古の「大蛸伝説」の舞台になっています。

45.平屋の公営住宅群

明石市営林崎住宅と呼ばれる4棟の平屋建てコンクリートブロック造住宅は、昭和33年~36年にかけて建設されました。今では珍しい構法ですが、当時は施工性と耐久性にすぐれていることで公営住宅に採用されました。

【まめ知識01】藤江の競馬場

昭和2年、兵庫県畜産組合連合会により明石郡大久保に競馬場が建設されることが決まりました。しかし、競馬場を建設するための資金調達が上手くいかず、同連合会から依頼を受けた宇治川電気と明石土地建物株式会社が経営・担当を引き受け、藤江に明石競馬場が開設されました。そして昭和3年5月11日から4日間、初めての競馬が開催されました。明石競馬場では年に2〜3回、それぞれ3日間の競馬が開催されていました。出走馬は100頭を超え、数万人の観客が訪れたそうです。競馬の合間にはオートバイ競争や花火大会などが催されました。また1万坪の場内には、教材花園があり、小・中学生の学習にも利用されました。しかし昭和14年の軍馬保護法により、競馬場は閉鎖されます。その後、川崎航空機工業株式会社の明石工場設置に伴う工員住宅建設のため、その跡地は住宅団地へと姿を変えました。以前の藤江駅は、競馬場の馬券売り場を転用したものでしたが、昭和60年に現在の駅舎に建て替わりました。

【まめ知識02】龍泉寺と青龍神社

龍泉寺は建長6(1254)年に法燈国師開基の伝承を有する寺院です。法燈国師は同年南宋から帰国しているので、当地に立ち寄った可能性があります。浜街道沿いの藤江川河口の小高い丘上に位置し、往古は眼前に海岸線が広がっていたとみられます。青龍神社は創建を建長6(1254)年とする藤江村の鎮守社です。 御祭神の上宮青龍五社大明神は林神社の上宮五社大明神を勧請しています。青龍神社は現在藤江川と浜国道(県道718号線)が交差する場所に位置しますが、往古は海岸に面した小高い丘の上に鎮座していたと考えられます。龍泉寺は元禄14(1701)年、 臨済宗法雲和尚により再興され寺院であり、中世における龍泉寺と青龍神社の神仏習合関係はわかりません。しかし、両者の名称は「龍」の一字を有し、創建年も同じで、 且つお互いに隣接するなどの共通点があり、注目に値します。龍泉寺と青龍神社は昔から藤江村の熱い信仰を得て今に至ります。

【まめ知識03】御崎神社と的射

播磨国の神名帳によれば、旧明石郡内13社の一つに数えられ、南北朝時代に社殿を造営し主祭神を勧請、 山王二十一社大権現という格式の高い神社となり明治維新に御崎神社と改称したと言われています。また、神社にまつわる「鉄人の船と霊」の伝説から、山王権現が弓矢を用いて悪霊を退治したという故事に基づく神事があります。この神事は寛文12(1672)年より今も続き、約350年の歴史を持ち、明石市の無形民俗文化財に指定され、地元住民で作る保存会で継承されています。神事は1月中旬に行われ、当日は大前1人、 弓立4人、子供5人をもって奉仕します。大前・弓立は黒紋付麻裃、子供は黒紋付に袴の出で立ちで、まず大前が天地を狙い、終りに的に向かって矢を放ちます。それから大前・弓立五人で一斉に矢を天に向かって4回放ち、神事の子供は各その矢を拾って神前に供え、豊作・豊漁を祈願し式を終えます。