藤江・松江

【まめ知識04】藤江村の集落

藤江地区は藤江川を挟み東西に形成した集落です。藤江の地名伝承の一つに「淵江」という由来もありますが、藤江川沿いにはかつて大きな入江が形成されていたと考えられます。しかし、藤江村の河口付近は永年の土砂の堆積により次第に低湿地化し、更に昭和時代の河川改修により護岸も整備され、自然災害のリスクは低減しています。藤江川の右岸は龍泉寺や青龍神社の門前を核として比較的規模のある民家が集積しています。このエリアの民家は海岸と藤江川で形成された低湿地帯であったため、各民家は排水対策として竜山石の石垣で掘割を巡らし、海岸沿いの水はけを改善している点を特徴としています。一方、藤江川左岸河口付近の集落は海に向かって短冊状に家並みが集積し、縦筋の道に開口する民家が形成されています。短冊状にまとまった集落の形状は、東岸の集落が漁村の機能を持った集落であったことを示しています。

【まめ知識05】松江の地形と地名

西松江地区は地形にちなんだ地名が多くみられます。先ず地名を示す小字「泥ぐじ」は東松江村の東松江川左岸に位置しています。字名から「えぐられた泥状の土地」という意味が読み取られ、低湿地の地形が地名に残ったと考えられます。小字「泥ぐじ」の西対岸に位置する「あし池」もかつては低湿地であった名残を地名に残しています。また「あし池」に隣接する小字「大王」は浸食地を暗示する名称であり、海岸に近い低湿地の一部とみられます。西松江村は東西の松江川に挟まれた集落です。東西の江川に接する西松江村の中心には小字「東出口」、小字「西出口」が残ることから、西松江村は東松江村よりも古い集落が形成されていたことがわかります。東松江村は赤石川を挟みながら東西に形成された集落で、小字「東野」と小字「西野」にかけてが東松江地区の中心地です。なお、東松江村からみて、東松江川沿いは小字「出口」あることから、東松江川が東西の松江村の境界となっていたことがわかります。