船上・林

13.御崎神社

当初は山王権現の神社でしたが、祭神が明治時代に林神社に合祀され、御崎神社に改称しました。『播磨鑑』によれば、山王権現の主祭神はオオナムチだとし、地名の「船上」も山王権現に由来すると伝えています。

14.油掛地蔵

密蔵院境内の東南にあるお堂の中に祀られているお地蔵様。「おんかかか、びさんまえい、そのか」と唱えながら、お地蔵様の頭に静かに油をかけ心よりお話するように(一願)お願いすることから、一願地蔵とも呼ばれています。

15.密蔵院

密蔵院は寺伝では延喜4(904)年、平安時代の創建です。かつては密教の学問所として栄え、江戸時代は藩の保護も得ました。しかし寺院は戦災に遭い、戦後再建されました。現在は報徳大地蔵尊や油かけ地蔵でも有名です。

16.古城川

船上城の本丸跡に沿うように流れています。明石警察署前の道も昔は川で同じく古城川と呼ばれており、堀であったと思われます。川の上にはコンクリート製の小梁が繁く設けられ、独特の景観が作られています。

17.船上城址

船上城は、天正13(1585)年に高槻より移封してきた高山右近により、標高2~ 3mの沖積地上に築かれた平城で、ここはその本丸跡と見られています。規模や築城法など、高槻城とは多くの共通点があると言われています。

18.白い壁

住宅街に突然現れる白い壁。この辺りにはかつて大正7(1918)年創業、明石発酵工業(現、明石酒類醸造)の工場や蔵、 麹室などがありました。この白い壁は塀の一部か、外壁の一部なのかは定かではありませんが、歴史を感じます。

19.東之町の戎神社

この戎神社は、林村の大東町、大町、 獅子投町によって祀られています。これらの町はかつて東之町巾着網という統の漁労集団以外に蛸壺による「ツボヒキ漁」の仲間として結びついていました。社は南面して海に向かっています。 高潮などによる被害を避けるためか、 堅牢なレンガ造りの塀が目につきます。木製の献花台が設けられており、花やサカキのために、穴が空いています。正面には大漁祈願と修復記念の碑が建てられ、レンガ積みや棟瓦のえびす様の凝った意匠を見ても、地元の人たちに大切にされていることがよく分かります。

20.若宮町の恵比寿神社

若宮町は東之町巾着網の統に属しますが、前述の3町はツボヒキの結びつきが強いので、若宮町は単独で恵比寿社を祀っています。小祠ながら木製の鳥居、木製の献花台が設けられ、ブロック塀で堅牢に守られています。

21.太公望の防波堤

林崎漁港の東端から西へ延びている林崎漁港2号3号防波堤は、漁港を守る大切な防波堤ですが、この広くて長い防波堤は、明石海峡や播磨灘に臨み、ベンチなども整えられ、全国から訪れる太公望の絶好の釣り場でもあります。

22.ふれあいゾーン

林崎漁港の北側にある整備された「ふれあいゾーン」には、庭園ゾーン・休息ゾーン・遊びのゾーンの広場があります。各ゾーンには 東屋が設けられており、休息ゾーンには、男女トイレと多目的トイレが設けられています。

23.林銀座

若宮の表参道は地元では「林銀座」と呼ばれていました。林村の中心部に位置し、かつては商店も並び賑やかであったと言います。村中でも広い通りの参道は浜辺に至る途中で急に細くなります。 船上城の大手門はこの付近にあったようです。

24.若宮神社

若宮は正式には若宮四社大明神といい、隣の宝蔵寺が別当寺となっています。口伝では林神社において村の座席争いがあり、その結果天正13(1585)年に船上村から山王社を勧請したのが若宮の始まりと伝えられています。