船上・林

25.海門山 宝蔵寺

宝蔵寺は鹿ノ瀬の海中から引き揚げられたという毘沙門天を本尊とし、 応永 3(1396)年に創建された寺院です。宝蔵寺は真言宗密蔵院の末寺の一つで西蔵坊と呼ばれていました。高山右近が入城の時代に一時期天主教(キリスト教)の教会としても用いられたようです。 壁に埋め込まれて残されていた十字架も当時の信仰の様子を物語っています。昭和 20 年の空襲により、 本堂他ほとんどが全焼してしまいました。しかし、 土蔵だけはかろうじて焼失をまぬがれました。 戦災に遭った宝蔵寺は戦後再建されました。

26.中之町の恵比寿神社

中之町では恵比寿神社と稲荷社(金倉大神)が並んで建っています。外構はレンガ塀ですが四隅には花崗岩の柱が建ち献花台は石製です。 棟瓦の大黒様の足下には鯛が跳ねています。 降り棟の飾り瓦は蛸壺から蛸が出てくるデザインです。

27.厳島神社と石崎稲荷

八軒町が祀っている神社と稲荷です。この地は昔、「オカ」と呼ばれ、漁師は住んでいなかったそうです。そのせいか、他の地区では、「えびす神社」を祀っていますがここでは「厳島神社」をお祀りしています。

28.西之町の戎神社

ここは五蔵、地蔵、戎井、戎之の西之町巾着網の統と川端町や宮之町などの元網の統(藤原繁蔵の網)が祀っています。鳥居は木製で献花台は石製、塀はレンガ造です。正面の門の小屋根の欄間には鯛が彫られ彩色されています。

29.善国寺のお地蔵様

善国寺の境内にある立派なお地蔵様で、林には沢山のお地蔵様があります。明石川東側の新浜では地蔵盆にお地蔵さんの下で子どもたちへ茶菓を振る舞うことが盛んですが、林ではお地蔵さんの下では殆ど行われていないそうです。

30.神応寺

真言宗の神応寺は密蔵院の末寺です。かつては常願寺や西林坊と呼ばれ、林神社の西に所在する別当寺でした。寺院は明治には現在地に移りましたが、明石七佛薬師の一つであった薬師佛と本堂は空襲で焼失し、戦後再建されました。

31.美しい石垣

高浜川から一本東に入った道にある石垣です。道は川に沿って緩やかに曲がり、海へ向かう昔からの道です。石垣は竜山石で下段は角形、上段は丸形で積まれ、川に向かうにつれて土地が低くなっているのが分かります。

32.林神社

林神社は平安時代にまで遡れる明石郡の式内社の一つで、当初は上野宮と呼ばれ、後に別称上宮五社大明神社(上ノ宮明神)となりました。延喜22(922)年夏の旱魃の際に祈雨で雨が降った伝承から雨乞社とも呼ばれました。

33.立石の井

林神社の東の谷にあり、「貴崎に住む2人のお后を悩ませていた大蛸を、二見の豪傑が大蛸壺で捕まえたが、逃げだし、この地で切伏せたところ、立石の井になった」という伝説があります。後に村の酒造りに大いに利用されたそうです。

34.自由川と自由橋

林地区と高浜地区の境界に位置する高浜川、及び林崎橋はかつては自由川、及び自由橋と呼ばれていました。両地区の境界は林神社の表参道に接続するため、自由川は誰の所有でもない場(公界)の形成と無関係ではないようです。

35.専修寺

高浜川の林崎橋(自由橋)の西詰にある浄土宗のお寺です。明治9(1876)年には、合併した小学校の校舎として、明治22(1889)年には林崎村の村役場にされるなど、 浄蓮寺と共に、明治期の林崎村において大きな役割を果たしました。

36.街道の米穀店

旧浜街道沿いの米穀店。約30Mに渡り、板張りの平屋と入母屋造りの店舗、蔵が軒を連ね、奥には立派なお屋敷があります。高浜川の東側は漁村が中心だったのに対し西側は半農半漁の地域であったことがうかがえる建物です。