船上・林

【まめ知識03】漁村の町割

林村は高砂道と瀬戸内海にはさまれた漁村で、浜辺に向かう縦の「筋」に沿って短冊状の町割りが形成されています。上下関係のない自由(すなわち無主)の浜辺に形成された漁村には漁労集団ごとに結束する自治の「場」が必要であり、それが短冊状に形成された町割りにも反映されています。林村の町割りは高浜川(自由川)を境にして林地区と高浜地区に分かれます。ほぼ漁業で占めた林地区に対して高浜地区は半農半漁の村であったといいます。また林地区は網漁やタコ壷漁を大規模な集団で営む東ノ丁(大東町、大丁、獅子投町の三町)とそれ以西の比較的小規模な釣漁を営む西ノ丁他(林二丁目)に大きく区分されると言われています。林村には各町の町割り内に小神社の祭祀場があります。祭祀のみならず地域の経済、社会などと強く結びついた漁労集団の強い地縁は短冊状の町割りを形成しています。

【まめ知識04】林の漁業

林村の漁業の発展は全国屈指の好漁場である鹿ノ瀬を高山右近の頃から明治の中期まで約300年間にわたり独占してきたことです。鹿ノ瀬ではイカナゴ、イワシ、蛸、鯛など多くの魚種を主に漁船を駆使した漁法で、大量の漁獲を得ていました。新浜では漁師の個人所有の船であるのに対して、林では共同で船を持っているのが特徴です。イワシ漁は明治後期に林村の藤原繁蔵が改良した巾着網により、飛躍的に漁獲量が増え、林小学校には巾着網記念碑があります。巾着網には10隻以上の船と総勢100名近くの労力が必要でしたのでイワシ漁の時期になると各町が一体になって取り組みました。東之町、中之町、西之町、元網(川端町、宮之町)、丸三(高浜東丁)、戎(高浜中丁、高浜戎丁)、八九(八九郎丁)、高西(高浜西丁)の8統ができ、地区ごとに戎神社、稲荷社等を祀っています。今は巾着網も姿を消しましたが、海苔の養殖などで共同作業が生かされています。