人丸

25.和洋折衷の門塀

門の屋根は日本瓦の一文字軒に銅板一文字葺の数寄屋風で、門扉は欅板という純和風の構です。塀の基壇部は御影石で荒切石の整層積、延石は御影の磨き、壁は青石(緑泥片岩)の洗い出しで曲面を作る見事な和洋折衷です。

26.明石城外堀の跡

城の堀には殿様の生活空間を囲内堀、城内を囲う中堀、武家地と町人地の間の外堀がありました。 外堀は殆ど埋められ、道路などになりましたが、外堀の東である大蔵門から本松寺までの堀の北端の一部が、今も残っています。

27.縁の下に三手先斗栱

雲晴寺は、明石藩の家老を奉る菩提寺で、戦災で本堂を消失しましたが昭和52年に再建されました。 本来なら、三手先斗栱は寺社の大屋根と、深い軒先を支える為の構造ですが、広縁の床組みとして用いられている珍しい事例です。

28.元人丸小学校跡地

人丸小学校は明治34年に明石第二小学校として人丸前駅の西側で国道の北に創設されました。大正15年に現在地へ移転されています。石垣を見ると、ここは土地が低く、両馬川が天井川であったことがよくわかります。

29.国道市場

国道市場は山陽電車の線路を昭和8年に神明道路として敷設された時に開業したと考えられます。 市場は国道から直角に引き込むように延びています。左右二階建の店舗に全天候型木造アーケードがかかるのは当時の市場の典型です。

30.入口がない蔵

国道沿いに本瓦葺きの2階建、壁は銅板と縦板張で覆われた立派な蔵があります。母屋は質店で、玄関は南側の道に面していました。 山陽電車の線路だったところを国道にしたので、後向きに建てたように見えるのでしょうか?

31.街なかの和風旅館

桜町の白雲社は(冊子城下42)の隣に、和風旅館があります。腰は杉の縦板張で壁は漆喰塗りです。窓に施ほどこしてある木製の格子の細工が美しいです。ホテルがなかった頃は、街なかには小さな和風旅館 がいくつもありました。

32.郵政相生宿舎

この地には、明石電信局が明治16(1883)年に建てられました。明治22(1889)年には明石郵便電信局、明治36(1903)年には明石郵便局と改称されましたが、戦争で消失しました。 現在はシンプルにデザインされたRC造の宿舎が建っています。

33.境界石は語る

敷地境界を示す境界石に、色々なマークや文字の入ったものを見かけることがあります。 「〒」は郵便局、「海」は海岸だったところでしょうか? このようなアイテムを見つけることもまち歩きの楽しみです。

34.ここは鍛冶屋町?

本松寺を南下して旧街道と交わったところに道標があり、そこに「従是人丸山三丁鍛治屋町丁内」と刻まれています。この位置は今では天文町ですが、古地図では鍛治屋町であったことがわかります。 道標は地境の証でもありました。

35.山陽道沿いの町屋

大蔵町から山陽道沿いに城下へ向かう途中に町屋があります。 駒寄せや2階屋根の出桁などは大蔵町の町屋の意匠によく似ていますが、壁の銅板や 2 階の階高を高くするなど、大蔵町よりは新しい時代のものと思われます。

36.お寺にモダンな塀

昭和 29 年に高野山真言宗人丸教会は移築されました。そこは明治15 年から昭和 3 年まで明石警察署や官舎があった場所です。 建物は入母屋破風を重ね、和風ですが、塀はレンガ下地で洗い出し仕上げなどモダンな意匠です。