【まめ知識02】歌人 平忠度

人丸
写真1:両馬川の石碑

忠度はたいらきよもり()まってい()しょう()ですが藤原しゅんぜい()師事(しじ)し、(すぐ)れた歌人でもありました。寿じゅえい()3(1184)年のいちたに()の戦いに敗れ、りょうがわ()付近でさい()()げたと言われています。

写真1はおっ()の岡部ろく()ただずみ()騎馬(きば)で川を(はさ)んで戦ったことで、命名(めいめい)された両馬川にあるせき()です。
この石碑はかつて川に()かっていた両馬橋とがね()橋の石材で作られたと伝わっています。

写真2は忠度の切られた右腕(みぎうで)よう()した(ほこら)が、明治しん()後に神社となった腕塚(うでづか)づか())神社です。

写真3は街道(かいどう)から腕塚へ行くための腕塚道を示すどうひょう()です。

写真4は忠度の亡骸(なきがら)を埋め、五輪塔が建てられた忠度塚です。荒廃(こうはい)した塚を修復した5代目明石藩主(はんしゅ)まつだいら()ただくに()が、えい()の歌を(きざ)んだ石碑もあります。

その他に清盛の(おい)で、歌人でもある平経正(つねまさ)敦盛(あつもり)の兄)の馬を埋めたと言われる馬塚(うまづか)もあります。

歌人の最期がせい()かきのもとひと()()の地であることを願う心が込められているようです。付近の方々は、史跡を地域の宝物として連綿と大切に維持管理されています。

写真2:腕塚神社
写真3:腕塚道の標識
写真4:忠度塚

明石ヘリテージマップ『人丸』2018

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