【まめ知識04】明石の町割

城下
朝顔光明寺の前に京口門があった

城下町以前、この地域は旧山陽道に沿ってなかのしょうむら(明石川左岸)と大明石村があるだけでした。

お城は西の明石川と東のりょうがわの中心の小山(赤松山)に築かれ、そのふもとを通っていた山陽道を南にかいさせて、外堀を設けました。

東西の川近くにはあしがる・組屋敷やお寺を配し、城下町を守り、明石川にはけいのため江戸時代後半まで橋はけられませんでした。

城下西端には姫路口門を構え十王堂が、東端には京口門に一向光明寺(朝顔光明寺)が配されました。外堀より内はさむらい町、その南は町屋で構成され、ふなだまりから西にふな)が集められました。

城下町形成初期の町屋は、東から町、さい町、ひがしうお町、東本町、西本町、西魚町、しな町、東たる町、西樽屋町、明石町でした。

東西に職人町、中央に商人町という配置で、特に東魚町はせんぎょり物、西魚町はほしもの、海産物と専門別にお店が集められていました。

現在は違う町名(本町)になり、地名を手掛かりにおう辿たどるのが難しくなってきました。

職人町として残る鍛冶屋町
信濃町は中町から本町2丁目になった
城下の西には寺院が集められた

明石へリテージマップ『城下』2017

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