06.太寺に五重塔?

高家寺境内の東南隅の基壇上に3石の礎石が残されており、その礎石の配置から五重塔級の塔が建っていたとも考えられています。他に奈良時代の瓦なども多く発見されており、明石の駅家にも関わる史跡で、兵庫県指定文化財です。

07.カイヅカイブキの生垣

この辺りの塀には、板塀、モルタルの荒擦り、生垣などが見られます。生垣には砂地など水はけの良い場所を好むカイヅカイブキがよく使われており、高級住宅地としての太寺の景観に大きく寄与していました。

08.洋館付き住宅

大正の終わりから昭和の初めにかけて、和館の母屋に洋館風の付属屋がつけられる様式が、裕福さのシンボルとして全国的に流行しました。これは欧米化を目指す明るい世相を反映したものです。玄関脇に応接間として建てられる事が多く、子供室としても使われました。 この地区にも急勾配の屋根や高い階高、縦長の窓、出窓、外開きのガラリ雨戸、スレート葺や色付き瓦を使った屋根など様々な意匠を見ることができます。建物に合わせてライフスタイルも変化していったと考えられます。

09.壁に日時計のある教会

正面の南向きの壁に垂直型の日時計が取り付けられています。会堂は昭和55年にヴォーリズ建築事務所が設計したものです。前面の建物は昭和21年から7年間、さみどり幼稚園の園舎として使われていました。

10.花頭窓のある割拝殿

この割拝殿の左右に禅宗様の寺に見られる花頭窓があります。妙見社は本来北辰妙見菩薩を信仰する神仏習合の神社として知られています。妙見社は本松寺の西北に位置し、この寺を守護する役割をもつ神社となります。

11.竜山石の列柱擁壁

明石城築城後の元禄4(1691)年、船上城下にあった本正寺が東長寺の跡に移転したのが本松寺です。この辺りは昭和初期まで東長寺谷と呼ばれていました。ここに竜山石の列柱でできている擁壁を見つけました。

12.人丸山復興開発記念の碑

戦後、数回の台風で荒れ果てていた人丸山周辺を民間の復興開発同盟により昭和36年に整備、復興した記念碑です。天文科学館の新築を機に、亀の水から月照寺、柿本神社までの遊歩道、観光進入道路等が整備されました。

13.子午線標柱

日本標準時子午線は明治19(1886)年に制定されました。 明治43(1910)年には旧明石郡の小学校の先生たちがお金を出し合って日本最初の子午線標識が建設されました。(写真1)昭和5年には人丸山にトンボの標柱(写真2)、昭和8年には神明国道(2号線)に標識が建設されました。(写真3) これらの標識は再実測等により何度か移設されていますが、天文科学館所蔵の子午儀と共に市指定文化財になっています。 昭和35年、子午線上に建てられた明石市立天文科学館は国の登録有形文化財になっています。

14.動く「亀の碑」

この石碑は寛文4(1664)年に明石城主松平信之が建立しました。碑文は1712字の人麿伝記、全て読めば亀が動くと言われています。台座は亀趺と言われ中国からの様式です。亀は贔屓といい、龍になれなかった龍の子供です。

15.伏見城から来た門

この門はかつて明石城居屋敷廓(城主居館)の切手門(正門)でした。明治初年に月照寺に山門として移築されました。元々は伏見城の薬医門でしたが、明石城の築城時に拝領されたものです。桃山風の豪壮な風格の四脚門です。

16.播磨で一番古い狛犬

拝殿前にある石造狛犬で、右は口を開け左は口を閉じ、阿吽の対をしています。本体は砂岩で台座は花崗岩、立髪の巻き毛が特徴です。 台座には宝暦4(1754)年の銘があり、現存する石造狛犬の中で、播磨で最古の作とされています。

17.鳥居の笠木が柵に

この鳥居は阪神淡路大震災により倒壊し、鳥居の上部に当たる笠木、島木、貫と呼ばれる所がステンレス製となりました。元々の部材は柵として石段の脇に設置されており、震災当時を物語る遺産として、保存活用されています。