
明治の頃大蔵には黒瓦の瓦屋が10軒あり、職人も100人以上おりました。明石瓦は産地では、県下唯一の一級地でした。土は朝霧川の上流の山でした。
ダルマ窯で、両方から焚きます。あぶりから本焚き、最後に木や松葉を入れて蓋をして燻します。窯出しをすれば直ぐに次を入れて焚きます。窯には7~800枚ぐらい入りました。(故・北川清一郎氏談)
一方明石焼の陶器も多く作られ、主に登り窯でした。ほのぼの焼、朝霧焼、人丸焼、舞子焼など様々な名前があり、高̪趾焼などは海外へ輸出されていました。蛸壺や煉瓦、タイルも焼いておりました。(故・久保直明氏資料より)
日の出窯は現在の本社ビルの裏にありました。少し高くなっていた土地を利用したようです。連房式の登り窯で、焼成室は10室ほどあり、結構大きかったと思います。子供の頃窯の中に入っていた思い出があります。製品には「明石焼」の刻印が押されています。(日之出工業増岡義教氏)




明石ヘリテージマップ『大蔵』2014