大蔵 13.西林寺 康安2(1361)年に空円上人が天台宗の寺として開きました。寛文4 (1664)年に浄土真宗に改宗されました。終戦の年に小説家の永井荷風が一時疎開していたことでも有名です。鐘楼を門にしているのが印象的です。 大蔵
大蔵消失 14.明珍堂 創業が昭和60年頃の和菓子菓子司です。店の奥で自家製造をしています。以前は松栄堂という和菓子屋さんでした。お隣の米屋さんと並んで、町家で今でも商売されているのは少なくなってしまいました。 大蔵消失
大蔵消失 15.窯跡が防空壕に 町の真ん中に、こんもりと土が盛られたところがあります。地元の人の話では、登り窯の跡だそうで、戦時中は防空壕としても使われていたそうです。よく見ると土の中にたくさんの陶器の欠片があります。 大蔵消失
大蔵 16.路地 大蔵の町には、縦横に路地が張り巡らされています。路地には境界石や側溝があります。行き止まりと思っても意外と抜けて通れます。互いに軒先を譲り合い、隣人同士の仲が良いからでしょうか。 大蔵
大蔵 17.お地蔵さま このお地蔵さまは社に囲いがあり大事に祀られています。もとは大きな敷地に祀られていましたが住宅地の開発とともにこの場所に移動してきたものだそうです。大蔵界隈には数多くのお地蔵さまが祀られています。 大蔵
大蔵 18.高木邸 旧西国街道に面した厨子二階建ての町家です。1階正面窓には格子が組まれ、腰壁は板張りで2階壁は黒漆喰塗りです。2階には虫籠窓や袖うだつが設けられています。また屋根には地元明石産の塩焼き赤瓦が葺かれています。 大蔵
大蔵消失 19.二軒長屋住宅 大きなL字型間取りを2軒合わせて長屋にしたものです。 昭和の中頃に建築されたものと思われますが現在は賃貸住宅として使われています。このように大きな規模の二軒長屋はめずらしい建て方です。 大蔵消失
大蔵消失 20.別荘 昔は海に面していた別荘だったといわれています。外部は杉板張りで戸袋は杉皮が張られています。2階の屋根は石綿板葺きとなっていますが以前は1階と同じ塩焼き赤瓦が使われていたと思われます。 大蔵消失
大蔵 21.円乗寺山門 顕本法華宗である円乗寺山門の柱の角には几帳面という面の細工が施されています。山門の上には日蓮宗系の寺院に掲げられる家紋である井筒橘(日蓮宗橘)から派生した家紋が掲げられています。 大蔵
大蔵 22.煉瓦塀 町の奥へ入って行くと煉瓦塀を見かけます。大蔵では煉瓦も製造されていました。基礎や塀によく使われています。イギリス積み(平方向と小口方向を1段ずつ積み上げていく)で塀を築いているのがわかります。 大蔵
大蔵消失 23.大蔵市場 昭和30年頃に明石の初期の総合市場としてできました。小売店が集合して便利なので、太寺や朝霧からもお客さんが来て賑わいました。内部の通路にシャッターが斜めにせり出して並んでいるのは面白い光景です。 大蔵消失
大蔵 24.稲爪神社と浜恵比須神社 稲爪神社は7世紀の推古天皇の時代から三嶋大明神を奉られていました。天正6(1578)年、三木合戦で高山右近が大蔵谷城を攻めた時、兵火のため全焼したと伝えられています。楼門の彫刻は、左甚五郎作といわれています。内側からは、素戔嗚神が大蛇退治している様子が伺えます。大国主命の御子、事代主大神が奉られていた浜恵比須神社が、昭和28年に大蔵町の海岸から稲爪神社本殿の東隣に移されました。浜恵比須神社のご神体を持ち出し漁に出ると、大漁にあやかることができたと伝えられています。 大蔵