大蔵消失 03.煉瓦塀と欄干親柱 昔、敷地内に小河川があったので、鉄筋コンクリート造の欄干が設けられていました。その後欄干は撤去され、親柱だけ残っていました。しかし最近レンガ塀の改造があり、親柱も撤去され、親柱跡の四角い形だけが残っています。 大蔵消失
大蔵消失 04.土と瓦で造られた境界土塀 大蔵では、黒瓦が生産されていました。海岸に近く、風雨も強いことから土と瓦で造られた土塀を境界線に築き、住環境を守ってきました。土壁の中には、丸瓦や平瓦が使われているのを見ることが出来ます。 大蔵消失
大蔵消失 14.明珍堂 創業が昭和60年頃の和菓子菓子司です。店の奥で自家製造をしています。以前は松栄堂という和菓子屋さんでした。お隣の米屋さんと並んで、町家で今でも商売されているのは少なくなってしまいました。 大蔵消失
大蔵消失 15.窯跡が防空壕に 町の真ん中に、こんもりと土が盛られたところがあります。地元の人の話では、登り窯の跡だそうで、戦時中は防空壕としても使われていたそうです。よく見ると土の中にたくさんの陶器の欠片があります。 大蔵消失
大蔵消失 19.二軒長屋住宅 大きなL字型間取りを2軒合わせて長屋にしたものです。 昭和の中頃に建築されたものと思われますが現在は賃貸住宅として使われています。このように大きな規模の二軒長屋はめずらしい建て方です。 大蔵消失
大蔵消失 20.別荘 昔は海に面していた別荘だったといわれています。外部は杉板張りで戸袋は杉皮が張られています。2階の屋根は石綿板葺きとなっていますが以前は1階と同じ塩焼き赤瓦が使われていたと思われます。 大蔵消失
大蔵消失 23.大蔵市場 昭和30年頃に明石の初期の総合市場としてできました。小売店が集合して便利なので、太寺や朝霧からもお客さんが来て賑わいました。内部の通路にシャッターが斜めにせり出して並んでいるのは面白い光景です。 大蔵消失
消失城下 18.スパニッシュ風瓦 まちなかでS形瓦の小庇をよく見かけます。スパニッシュ瓦は上下2枚の瓦で組み合わせますが、 S形瓦は上下を一体化しています。一般的には素焼き風の色ですが、明石では明石瓦に青や緑で着色されたものがよく見られます。 消失城下
消失城下 46.遊郭の面影 この辺りは、昭和の中頃までは旅館やヘルスセンターが並び、港町の繁栄を誇っていました。 唐破風の玄関屋根と社寺風の数寄屋造り、装飾された格子を持つ遊郭もありましたが解体され、今は1軒を残すのみです。 消失城下
消失人丸 40.美しい門 小さいながらも、数寄屋風入母屋の屋根には一文字瓦と銅板を使い、柱は小節の磨き丸太、軒裏は小丸太の扇垂木、竹を使った門扉と趣向を凝らしています。北に中崎公園、南に淡路島を望む別荘地にふさわしい美しい門です。 消失人丸
消失人丸 45.釣りの後で宴会 昭和30〜40年代、東築港の北側は舟宿や料理旅館が建ち並び、賑わっていました。 明石は京阪神からの利便性も良く、釣りも人気で、釣り大会をしてから宴会を開くといった集まりも多く開催されました。今もその面影が残っています。 消失人丸