【まめ知識04】大蔵の瓦・焼物

ダルマ窯の例(南あわじ市) 明治の頃大蔵には黒瓦くろがわらの瓦屋が10軒あり、職人しょくにんも100人以上おりました。明石瓦は産地では、県下唯一ゆいいつの一級地でした。土は朝霧川あさぎりがわの上流の山でした。 ダルマ窯かまで、両方から焚たき...

【まめ知識05】東湯とお風呂さん

東湯正面 大蔵には、お風呂屋さんが三軒ありました。内風呂うちぶろが普及ふきゅうしていない一昔前ひとむかしまえでは、お風呂屋さんは暮らしに必要不可欠ひつようふかけつな存在でした。 一番東にあった「朝霧湯あさぎりゆ」は、平成15年頃に撤去てっき...

【まめ知識06】大蔵のまちわり

西国街道、大蔵西端の遠見遮断 大蔵は古くから交通の要所ようしょでしたが江戸時代に西国街道さいごくかいどうが整備せいびされ大蔵谷宿しゅくとして栄えました。東西を貫つらぬく街道と平行に脇道わきみちが、またそれらを南北につなぐ多くの路地が張り巡め...

01.川沿いの大明神

明石川沿いに山森大明神と記すお稲荷様が祀まつられています。大明神の表記は古い地神の名残です。表札の正一位は稲荷によくみられる表記で、日本古来の神ではないお稲荷様のために冠位を記したとも言われています。

02.たこ壺風の親柱

たこ壷に見える親柱が特徴的な大観橋は、江戸時代に城を守るために川に橋は架かっていませんでした。後に橋が架けられ「大歓橋」と名付けられ、その後「大観橋」となりました。「大歓橋」の親柱は橋の西側に記念として残されています。

03.古風な造りの銭湯

表構えに前栽と外便所を備える古風な造りの三光湯は庶民の身近な銭湯です。浴室の中央には、お弁当箱のようなかわいい楕円形の湯船があります。湯船の縁にある低い段は播州らしい汲み出し洗いの腰掛け段です。

04.十王通り

十王とは死者の魂を裁く十人の裁判官のことです。有名な閻魔大王も十王の一人です。十王通りは死者を死後の世界(冥途)へ葬送するための葬連道でした。江戸時代の絵図にも十王堂や十王丁が表記されています。

05.野外ステージ

明石川河口は水害を防ぐため護岸が整備されています。河川敷には広い野外ステージが設けられ、市民の憩いの場として開放されています。当津村新浜は、かつて夙村といわれ海難や葬儀に従事した人々が暮らしていました。

06.水の女神を祀る

伊弉諾神社はかつて賀神社と呼ばれ、江戸時代中期以降の建立といわれています。伊弉諾神社の祭神は男神イザナギノミコトですが、賀神社では、水の神様の女神コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)などが合祀されています。

07.観音堂跡地にある神社

若宮神社は元善楽寺観音堂の場所に鎮座しています。かつては海難を担当する当津村新浜の人々の神様であり、「西宮明神」とも記されることもありました。表参道は海を見守るかのように、海浜と一本の直線で結ばれています。

08.源氏物語の舞台

無量光寺は浄土宗の寺院です。江戸時代慶長年間に江井島から移設されました。源氏物語の舞台にもなっています。十王通りにつながる無量光寺の付近一帯は、かつて葬送の地でした。

09.平清盛に愛された寺

善楽寺は明石でも古い天台宗寺院です。当津と呼ばれる寺院一帯は海路の要衝地であったため、平清盛の寄進を受けています。境内の石造物は当寺院が供養地であったことを示しています。